あなたの笑顔を守るために

舞台を観るのが生き甲斐なヅカ&ジャニオタ

「あの日」から9年

実は何年か前から、時間ができたらはてブロ作りたいなーなんて思ってまして。
どうしても舞台感想を長文で綴りたい習性がありましてねー…

ブログ作るとしたら、最初の記事は「あの日」のことを書くと決めていました。

2011年3月11日。…そしてそのあと、を経験したいちヅカオタとして。

当時もリアルタイムで、行き場のない想いをずっとmixiに←書き残していた記憶はあるのですが、
なんせ9年も経ちますし…mixiのログももうないし…今になってやっと書ける気持ちもあったりしますし、
「当たり前に観劇ができる幸せ」を、自分の中でも絶対に忘れないために。




2011年3月11日。
当時私は社会人なりたてで、まだ独身で、
ヅカオタライフをおそらく生涯で一番エンジョイしていた時期です(笑)(ジャニオタは一時休止の時期)

「あの日」は、当時の御贔屓だった花組トップさんの退団公演の真っただ中でした。

まだ春の気配遠い3月7日にムラ楽。
「湿っぽくならないように笑って終わりたい」という御贔屓らしさ全開のサヨナラショーを大爆笑で観て、
たくさん笑って、少し泣いて、
こんなにも愛に溢れた、幸せな世界があるんだなぁ…とひしひしと実感して。

そして、ムラと東京の間のハードスケジュールの中に組み込まれた退団記念ディナーショーの、まさに昼公演中に震災がおきました。

御贔屓や友人たちの顔が次々に浮かびました。
徐々に、会場のホテルの建物に大きな被害や、演者、お客さんに怪我人などはなさそうなこと、
でも関東地方は停電や交通機関マヒによる帰宅困難が起きている…というような情報が断片的に伝わってきました。

まだこの時点では原発がどうなるのか、不安は抱きつつも想像もつかない…といった状況だったと思います。
翌日無事にディナーショーメンバーは関西に戻ってくることができ、翌々日からの宝ホでのディナーショーも無事に終了しました。



東京に向けてのお稽古が始まる頃から、徐々に原発の事故の状況が明らかになり、
関東では計画停電が必要だろう…という状況になってきます。

東北三県の津波の被害だけでも、ニュースで見聞きするだけの身でも言葉を失い目を塞ぎたくなる想像を絶する甚大さで、
それに加えて、関東で多くの電力を必要とする行事は軒並み中止、延期、自粛という重苦しいムード。
(宝塚以外の各種演劇もほとんど全て自粛していました)*1

関西は、会社や学校は一見通常通り、
でも、大規模イベントから飲み会まで「なんとなく自粛ムード」、なんのための自粛かよくわかんないけどとりあえず自粛、が広がるというなんとももやもやする雰囲気。



当然ファンの間でも、「今のこの東京に、宝塚が公演するためにのこのこ行っていいのか」という話題になります。

関西の自粛ムードは意味わからないけど、
原発のあった地域のことを考えれば、この状況で電力を使わせてもらうのが許されることとは到底思えない。

阪神大震災のあとも、兵庫県内で大きな被害が出ているのに宝塚を再開して良いものか…と当時も様々な議論があったと聞いています。
けれど「宝塚が公演をしているというだけで『日常』が戻ってくる、戦中戦後もそうだった。だからぜひ一日も早く再開を」という声でできる限り早く再開したのだと。
それぐらい、「宝塚が公演をしていること」「今まで通りの日常が同じように在ること」がどれほど心の支えになるか…というのも大事な意見です。*2
けど、公演を行おうとしているのは、歴史の深い本拠地ではなくて、東京。
そして、本当に苦難にあるのは東京よりも東北三県の人々で、東北の被災地の方々の中には復興に向かうどころか、故郷そのものも奪われ生活再建のスタートにさえ立てる見通しのない方々も多くいる。
そんな中で、普段通り公演をするのが「被災地を元気づける」ことになるのか?

お稽古待ちのお手紙に何を書くかが一番苦しく、辛かった。

「この公演、中止にして、退団延期して欲しい」?「電力の落ち着いた頃にちゃんと楽しめる状況でやりたい」?
…でも、御贔屓の退団がもし万一仮に延期できたとしても(そんなこと前代未聞ですが)、同時に退団する他の組子は延期にできない事情もあるかもしれない。

もしかしたら、比較的被害の少なかった東北・関東地方で、この東京公演のチケットを手に楽しみに待っている人…というのもいるかもしれない。

本心はもちろん、ちゃんと御贔屓に東宝の大階段を降りさせてあげたい、
でも…東京公演中や、滞在中に、身に危険が及ぶほどの大きな余震が来たら…?

何が何でも公演が見たい、とはどうしても言えなくて、
誰に怒りをぶつけることもできなくて、
被害の大きかった地域のことを考えてしまうと、自分の趣味ごときで辛いとも悲しいとも、言えなくて。



花組生は花組生で、公演の是非についてお稽古場で何度も話し合いを重ねていたと聞きます。
(後に他の組子のインタビュー等で明らかになりましたが、当時もなんとなくざわざわした雰囲気は伝わってきていました)

花組の前の公演順の、まさに震災&余震のなか中断を挟みつつ公演を続けた雪組が千秋楽を迎え、
いよいよ御贔屓を東京に送り出す日がきます。

悩みに悩んで、泣いて、なんとか絞り出したお手紙の文面は、
「〇〇(御贔屓)が、花組生が、どういう選択をしても、誰に非難されても、
私たちはあなたについてくよ、絶対にあなたの味方だよ」。

原発の地域の方々がもし公演のことを伝え聞いたら、一生宝塚のことを、御贔屓のことを許せないかもしれない。憎まれ続けるかもしれない。
それぐらいの覚悟をあのときしました。

被災者でない部外者の人に、宝塚が「非常識だ」と責められるなら、
私はその何倍も何十倍も御贔屓に「好き」「ありがとう」を伝えよう。非難の声を打ち消すぐらいに。
被害を受けた方のなかで、観劇できる方には少しでも元気になってもらえることを願い、
それどころではない被災地の方々の気持ちは、一生かけてでも背負っていこう。
この御贔屓のファンになった運命として、この公演をさせてもらう代わりに、その方々の暮らしが元に戻る何十年先まで、絶対に忘れることなく心に刻んでいこう…と誓いました。




結果的に東京公演は「入り出はなし」「組子が交替で終演後にロビーで募金に立つ」というかたちで行われました。
他の組子は数名ずつ交替だけど、トップである御贔屓は毎公演立っていました。公演だけでも一番負担の大きいはずのトップという立場なのに。

入り出もないので、ロビーでの募金を誰が(劇団側か生徒側か)決めたのか、どういう想いで…と当時は知ることはなかったのですが(公演が進む中で少しずつ伝え聞いたんだったかな)、
御贔屓が、何らかの形で、「公演をさせてもらうことの重み」を懸命に背負おうとしているんだと察しました。
観劇の予定を急遽増やし、終演後の舞台化粧のままでお衣装は黒燕尾姿の御贔屓に会いにいきました。
そんなレアな接触だというのに、御贔屓にもうちらファンにも一切笑顔はなくて、
お互い、まともに顔も見れないぐらいどうしようもなく辛くて、もどかしくて、
なんとか絞り出して「頑張って」とか「お疲れ様」とか言って、「ありがとうございます」って言ってもらうのが精いっぱいで。


あと忘れられない光景なのが…劇場に入りいよいよ幕が開くという時間になっても、客席に目立つ空席。
このチケットを持っていた人たちはどうされたんだろう…、人に譲ることもままならず…、と考えだすと、幕も開いてないのに涙が溢れて。
そして、舞台上からでもきっと空席が目に留まるのでしょう、
お芝居で泣くならともかく、ショーで、あんなに目に涙を浮かべている組子…という、まず他の時ではあり得ない光景。
懸命に笑顔を作ろうとして、でも、苦しそうで辛そうで。

組子にこんな想いをさせてまで、この公演を本当にやっていいの…?という想いが溢れ、また泣き。


どんなに泣いても辛くても、「この涙がいつか何かの/誰かの力になるから」という言葉もあります。
でも、この涙が役に立つときなんて二度と来ないで欲しいと思った。
二度と、こんな辛い涙を流しながら観る公演がありませんように…と願い祈るばかりでした。


4月も半ばをすぎ、すっかり春めいてくる頃には、「関西から経済を回そう!」と、
無駄な自粛は止めようムードに(少なくとも関西は)なっていたと思います。*3


あとあとになって、少しだけ救われたな…と思ったのは、
「公演の是非を(どこからかの命令とかではなく)組子が話し合いの末に、悩み苦しみながらも自分たちで結論を出した」ことだったなぁと思います。(後から何かで聞いた)

あとはやっぱり、お手紙が送れることの大きさ…自分の気持ちの整理のためでもあるけど、
どれだけとりとめのない内容でも、「ここにあなたの味方がいるよ」っていう存在を伝えることができる(自意識過剰かもしれないけど)ツールがあって、本当に救われたなぁと。


4月24日、御贔屓が無事に東京の千秋楽を迎え、
「無事に公演ができることは、当たり前のことじゃないんだ」と心に強く刻まれて。

その後も、退団公演の光景を見るたびに「〇〇さんは無事にサヨナラ公演を終えられて良かった…」と胸のつかえのとれる思いをし。
えりたん、みわっち、まっつ、まぁくんなど、当時のゆうちゃんを支えてくれた花組生は、
他のジェンヌさんよりも特別な思い入れを持って見送ってきました。

台風などで短い休演はありつつも、あのような未曽有の事態は起こることなく、あの辛さも少しずつながらも薄れ、
…そんな9年もたった頃に、予想だにしなかった「宝塚・東宝ともに長期休演」という事態が巡ってくるのだから…世の中何が起こるかわからないものだなぁと…。

あのとき苦しい想いをしながら公演してくれた、みつるやだいもん、かれー君がまた心を痛めているかと思うと本当に心苦しいです。(もちろん他のジェンヌさんも皆さん同じだと思います)



9年前も、舞台に立っている組子は本震・余震で誰一人怪我をすることなく、
小林一三先生が守ってくれていた宝塚。

今回も、早く平穏が戻ることを祈って...。

*1:停電による自粛だけが理由ではなく、余震が続く中で大きなセットに何かあっても…という理由もあったとは思います

*2:私自身もこの度のコロナ騒ぎで改めて思い知りました

*3:不思議なもので、日本人というものは桜が咲くだけでもこれだけ気持ちが前向きになるんだなぁ…と思ったものです