あなたの笑顔を守るために

舞台を観るのが生き甲斐なヅカ&ジャニオタ

2020夏、観劇記録(壮麗帝編)

真夏のそらに満開になった、季節外れの桜のおはなし。




* * * * *


演目発表から10か月!
当初の初日から4か月以上!

…しかもまさか、先に再開した花&星がまさかの中断になってる状況下での公演になるとは思いませんでした…

いやぁほんとコロナってやつは、95期になにか恨みでも?(言いがかり)


それだけ熟成期間を経た、
濃密な、重厚な舞台でした。
画面越しでも、熱かったのなんの。


舞台は16世紀オスマン帝国
帝国を、中東~ヨーロッパ(現在のイラクハンガリーに接するあたり)まで、
最大の繁栄に導いた第10代皇帝スレイマン1世のお話。

出自は関係なく、たとえ奴隷からであっても、
能力さえあれば登用されるのが特徴のこの時代のオスマン帝国
レイマン1世にも、奴隷上がりの腹心の部下と、寵姫がいて。
けれど、スレイマンはあるときその片腕の部下を自ら処刑してしまう。
失策の責任を取らせたとも、思い上がりが原因とも言われているが真実は不明…

演目が決まってWikiを読み漁った時点から、
何度叫んだことでしょう…


こんなずんそらが観たかった!!!


真実が不明ってことは創作していいってことですしね(?)

こんなずんそらが観れたらもう思い残すことは…あるけど(あるんかい)、
本当に本当に樫畑先生にはお中元でも年貢でも収めたい気分です(五体投地


* * * * *


(以下敬称略)

物語序盤は、
青年期のスレイマン(桜木)とイブラヒム(和希)の出会いから始まります。

イブラヒムに剣の相手を命ずるスレイマン
皇子相手ということで遠慮が出てしまうイブラヒムを、スレイマン咎め鼓舞します。

このスレイマンがね~~~もうまさに、"上に立つ者"って感じの物言いでねぇ。
「身についた奴隷根性がそうさせるのかぁ?」(セリフは全てうろ覚えです)
って爽やかな笑顔で言い放って、はっ…と恐縮するイブラヒム。

無邪気で楽しい場面なんだけど。
たぶんスレイマンは、本心から「奴隷という出自なんて関係ない、その気があるなら登用してやるぞ!」って思っていたんだろうけど。

観ていて、なぜか「重苦しさ」を感じてしまったんです。
…なんだろう、上手く言葉にできないんだけど…
動かせない、大きな重い石のような…。



2幕で人間関係が大きく動いていきますが、
もちろんその中の一番の山場は「イブラヒムの処刑」。

仲違い、とか、裏切りとか誤解とか、宝塚ではよくある題材ですが、
レイマンとイブラヒムは…何が辛かったって、
「このときこうしてればこうならなかったのに~~~」ってのが、すぐには答えが見つからなかったんですよね(今でもあんまり見つかってない)。


レイマンの人柄をよく現している場面が、
イブラヒムがサファヴィー朝と通じているのでは、と疑念を持ったとき、
勝手に憶測で疑念を膨らませるのではなくて、
きちんとイブラヒムに直に問い詰めるんですよね。
真っ直ぐに臣下と向かい合うひと。それがスレイマン

そして、「二度とサファヴィーとは通じるな」と釘を刺して。
…スレイマンの中では、それで終わったことになってたんだろうなって。
まさか自分の忠告を無視してその後もサファヴィーとの関係が続いているとは、
しかも自分に黙ったまま…とは、露ほどもスレイマンは思っていなかったんだろうなと思います。

イブラヒムがサファヴィー朝のタスマースブ(真白)との面会をセッティングしたときも、
絶対怪しいと、罠の可能性だってあると読んでいたはずなのに、
「わかった、会おう」と言える心の広いスレイマン

そんな、スレイマンの純粋さとか、自信とか…が、
裏目に出てしまったのかな。…悲しい。


きっと、
レイマンは、イブラヒムになんでも聞ける関係であって、
だからこそ、イブラヒムも自分になんでも言ってくるはず、と思っていた…
そこが、直接の食い違いなんじゃないかなぁと…。


イブラヒムのほうは…何故スレイマンに黙ってことを進めていたのだろう…。
レイマンは、祖父の代からサファヴィー朝には痛い目に遭わされてきて、
簡単に信用してはいけない相手だと思っていたけど、
イブラヒムはそこまでとは思っていなかったからすんなり信じてしまった…とかいう誤解の元はあると思うんですけど、
それでもきちんと話をすれば分かり合えたと思うんだけどな…。
(みなまで説明しなくてもイブラヒムはわかっているだろう、というスレイマンの驕りもあったのかもしれない…)


レイマンの優しさって、「甘さ」「弱さ」でもあったと思っていて、
1幕で、イブラヒムがスレイマンに黙って奴隷商人を殺す場面あるじゃないですか。
あれ…スレイマンが気づいていないとしたら甘いし、
たぶんそんなことはないだろうから、薄々気づいていて、自分の嫌なこと(=人を殺める)はイブラヒムに任せていて、
それは信頼でもあったけど、
その「黙って任せている」っていう信頼関係が、サファヴィー朝のこととなると、独断で動く⇒罠にかかる、となってしまった…

はぁ悲しい。*1

(そら担さんから見たイブラヒム視点からの御意見も聞いてみたいです…)


ただ、ひとついえるのは、
どの方向から考察しても、最終的には
「スレイマンとイブラヒムの身分差、ものの見方の違い」
っていう原因にたどり着いてしまうんですよね…

奴隷であることなど気にするなと。対等に向かって来いと、本心からそう言った、
でも人の意識はそう簡単には変えられなくて、
イブラヒムはスレイマンに対してずっと「身分差」を感じていて(そりゃそうに決まってるのですが)、
なんなら「奴隷根性が」というあの一言が、ずーっとイブラヒムに重い石のように圧し掛かっていてしまったのかな…。


サファヴィー朝とのこと以外で、
優秀なイブラヒムの、スレイマンとは異なる視点からの意見が功を奏したこと、
きっと何回も何回もあったんだろうにな。


* * * * *


「異なる視点、違う立場からの意見」
という話になると、
どうしてもSAPAのことが過ぎります。


SAPA感想
hiroko-1116.hatenablog.com


SAPAの総統が目指したのは、「違いを排除した争いのない世界」。

…でも、役柄じゃなくて「役者」という中の人の立ち位置になったとき、
「違い」を奪われるって、致命的なことなんですよね。
「違い」=「個性」だから。
「個性」のない「役者」に存在意義はないので。

逆にいうと、作品をつくるとき、
「個性を出すことを求める」なら、そこには「争い(…っていうと穏やかじゃないなぁ、「意見の対立」かな)」は不可避なんだろうなぁ。

宝塚を観ていて、
組によって、
あるいは同じ組でも場面によって、
「個性」よりも「統一感」を優先しているなと思う場面ももちろんあります。

でも、今の宙組は、あらゆる場面で個性が爆発しがちな組ですよね。

きっとSAPAも壮麗帝も、
つくる過程では、全員の個性が強いからこそ、意見の相違もあったんだろうなって。

それを、総統のように「個性を失くして統制する」のでもなく、
レイマンとイブラヒムの悲劇のように「黙ってわかった気になっている」のでもなく、
違う意見をきちんと交換し、認め合い、よりよいものを目指していく…
真風さんの率いている宙組には、そんな雰囲気を感じます。


* * * * *


壮麗帝の話に戻ると…

個人的に一番好きになった役、ジェンヌさんはハティージェ(天彩)かもしれない(^^)
天衣無縫…という言葉がぴったりで、
兄ににて、彼女も身分差など気にせず真っ直ぐイブラヒムを愛していたし、
ヒュッレム(遥羽)を認めていたのだと思います。
それでいて、王族ゆえの芯の強さ、聡明さもあって…。

イブラヒムが処刑に至るシーンは涙が止まりませんでした。


上級生も下級生もみーんな熱かったなー。
アフメト(鷹翔)最高。
セリム(希峰)、アルヴィーゼ(澄風)、ムスタファ(風色)、
なんといってもタスマースブ真白、
みーんなすごかった。


ずんららに関しては、もう。ここで書けるだけの語彙力が()
ラブシーン、キスシーンをこれでもかって見せて頂いてありがとうございます樫畑先生…

観劇から2週間経って…一番心に刺さって何度も何度も思い返すのは、
「お前が倒れたと聞いたとき…どうなるかと思った…」とヒュッレムを抱き締めるシーンです。
あのワンシーンに、スレイマンの人となり、優しさ、愛情深さ、脆さ、弱さ、
全てが出ていたと思います。

…皇帝とは。
大事な人と離れ離れになること、その間に危険にさらされることもあるし、
国を守るためには、それを受け入れないといけないこともある。*2
オスマンの一夫多妻の掟って、たくさん後継者を作るためはもちろんあるけど、
精神的な拠り所という意味もあると思うんですよね…
一夫一妻だと、その1人の正妻=皇帝の弱み、になっちゃう。
争いでなくても、病気で命を落とすことだって珍しくない時代なわけだし、
正妻を失って精神的に揺らぐより、一人失っても他にいる…っていう考え方というか。
…それでもスレイマンは、たったひとりだけを愛することを選んだ。


SAPAは、裏返せば「憎しみ」「争い」になってしまう「愛」。
壮麗帝は、「弱さ」「脆さ」と紙一重の「愛」。

どちらもかなしい。


…スレイマンも本当はどこかでわかっていたのかもしれない。
兄のトラウマがあって、
人を斬れない、側室を持ちたくない、自分の弱さ。
…戯れに、奴隷をひとり助けてしまった甘さ。*3
イブラヒムも、ムスタファも、
「皇帝の任務」なら、感情抜きに処刑しなくてはいけないのに。

でもそれを全て受け入れてくれたのが、
「あなたと生きたい」と真っ直ぐに見つめてくれたのが、ヒュッレムだった―――。

「時にはおやすみになってください、陛下もひとりの民です」
「…そうはいかない、民である前に皇帝なのだから―――」
このセリフも重い…。


ラストの玉座に向かうシーン、
予め観劇してた友達からは、孤独で、悲壮感を背負って…と聞いていました。

でも、千秋楽の陛下の表情は、
何か大きな力を得たような…強い覚悟で全てを受け入れたような、自信に溢れた堂々とした表情に見えて。


イブラヒムの処刑のあたりからずっとふぇぇ~って泣いてましたが、
玉座のシーンは、画面の前で、声上げてわんわん嗚咽でした…

そのときの気持ちは、
ヒュッレムに感情移入して、皇帝として歩み続けないといけないスレイマンの傍に居られない、支えてあげられない辛さ悲しさと、
でも、ずんちゃんは皇帝じゃないからこれからも傍にいられる、
大勢みんなで、これからもずっと応援していける…っていう嬉しさとごちゃまぜで(笑)

何言ってんだこいつって感じですね、はい(笑)



本当に本当に、上演できてよかった…!
ライブ配信してもらえて良かった~(涙)
一生忘れられない奇跡の公演です。
ずんちゃん率いる壮麗帝チーム、本当に本当にお疲れさまでした…!

*1:オスマンがヨーロッパに支配されてしまったら、出自で人生が決まる国になってしまう…という恐ろしさもイブラヒムにはあったのだと思います

*2:ずんちゃんで虞美人観たいなぁ…項羽…。虞を寵愛しすぎて戦場にまで連れていって、でも最期四面楚歌になって自ら手にかけないといけなくなっちゃうの…

*3:そのために奴隷商人1人死ぬことになるのに

2020夏、観劇記録(SAPA編)

本日で壮麗帝千秋楽から2週間経ちました。
本当の意味で「無事に終わった」と言える日ですね。

わたしは諸事情により劇場での観劇は断念しましたが、
壮麗帝だけでなく、当初観劇予定のなかったSAPAもライブ配信というかたちで体験できたこと、
本当にすごく貴重な作品を観れたんだなぁと感じています。


まだSAPAの日生劇場公演を残してはいますが、
4か月遅れで上演が叶ったこの奇跡の舞台の感想を書き残しておきます。

ネタバレありまくりますのでご了承ください。

…そしてめちゃくちゃ長いです←


* * * * *


(以下、敬称略)
まず時系列順に、SAPAから。


———未来のいつか、水星(ポルンカ)。
過去を消された男。記憶を探す女。
(中略)
追撃者から逃れて、2112時間続く夜を星空の孤児たちは彷徨する。
禁じられた地球の歌を歌いながら———
(劇団公式HPのあらすじより)


ウエクミ先生があまりにあらすじについて話すのを勿体ぶるので、一体どんな凝った設定なのだろうと憶測が憶測を呼んでいましたが、
初期設定自体は、ラノベやアニメで割とよく見る"ディストピアもの"でしたね。
(勿論それがこの作品の価値を下げることは全くもってありませんが)

戦争で荒廃した地球を逃れた一部の人間が水星に移住、
そこは"総統"と呼ばれる人物が元首となっている。
"総統"の理念は「違いを一切排除した平和な世界」であり、
地球での宗教や、多くの文化は禁じられている。

また、水星での人間の居住(呼吸や体温維持)を可能にするデバイス(=へそのお)は、
同時に、各自の思考を政府中枢のコンピューターに自動的に送信する役割を持っており、
"暴力"や"自殺"といった"危険思想"が検知されると即座に察知され、
更生(更生が不可能な場合は記憶の全消去="漂白")の対象となる。
よって、
水星での居住は、実質"総統への忠誠"と引き換えである…という世界観。


主人公オバク(真風)が、記憶を消されている(=なんらかの危険思想をかつて持っていたと思われる)ことも、わりと序盤のうちに明かされます。
記憶を消されたオバクは、今は危険思想を取り締まる側の"兵士"として、任務を気怠げに、淡々とこなしています。

そんなオバクがある日"自殺"の徴候を察知して駆けつけた場所にいたのがミレナ(星風)。
(おそらく"自殺企図"自体が、誰か兵士を呼び寄せるミレナの罠だったと思われますが)
ミレナが、総統が自らの後継者に指名したばかりの彼の娘であるらしい、ということも容易に推測できる展開です。

ミレナはオバクを脅し、自分をSAPAの中心地=到達すれば望みが叶うと言われている場所に連れていくように命じます。

SAPA周辺は電波の干渉により全ての通信・電子機器が無効化される場所であるため、
総統に思想を提供することに抵抗するレジスタンスたちのたまり場となっていました。

ここらへんまで、世界観や設定が淡々と説明される場面が多いのが第一幕。
大きなインパクトのある場面が少ない分、
演者の魅力・演技力だけで約1時間魅せてくるのはさすがトップコンビ&二番手です。

一見、過去に"危険思想"を持っていたとは思えないぐらい、受け身で、流されるように生きているアンニュイなオバク。
この作品の中では比較的「陽キャラ」と言っていいでしょう、飄々と、割り切ったように生きている精神科医のノア(芹香)。
いきなりオバクを銃で脅し、言動もぶっきらぼうで、どこか追い詰められている風のミレナ。

そしてこの三人に全く引けを取らない存在感だったのが、
まだ研4(絶対嘘やん)の夢白。
演じる、ノアの恋人のイエレナは、隙あらば政府に反逆しようと考えているレジスタンス。銀色の短髪にパンツルックに大きな銃を手にして…とそのいでたちだけでもインパクト大。

ここに寿、綾瀬、松風、星月、春瀬、瀬戸花らのベテラン勢(留依もこのくくりに入れてしまおう)、
若翔、天瀬、優希、愛海、真名瀬ら新公等でも芝居はお墨付きの若手勢が、しっかりキャラ立ちした役を生きています。
(紫藤、瑠風については別途書きます)


* * * *  *


一幕ラストから二幕にかけて徐々に、"危険思想"を持つに至るオバクの過去(イエレナやミレナとの関係)が明かされていき、
さらには"総統"(汝鳥/若かりし頃は穂稀)が、なぜ「違いを一切排除した平等な世界」をそこまで強く望んだのかが明かされるのが最大のクライマックスです。

よくあるディストピアものだと、独裁者は権力を求めるサイコパスめいた、人間味のない冷酷非道な人物…であることが多いと思います。
そしてラストでは主人公に追い詰められ、「お前の考え方は間違っている」と追及され、
独裁者が改心するか、手に負えず主人公の手で抹殺されるかというのがスタンダード。

…それが根底から覆してくるのが、この作品の一番の"醍醐味"でしょう。

一幕ラストでようやく姿を現す"総統"が、一見冷淡な人間離れした印象を与える演出も上手いなぁと思います。

それが、ラスト近くオバクとの対決時、
明かされていく総統の過去は、「戦争で目の前で妻や娘たちを殺された」という壮絶なもの。
きっと彼は、愛情深い優しい夫であり父親であったのだろう…という事実をこれでもかと突き付けられる。

「民族や言語・国籍といった違いがあるからこそ、殺し合いが起きる」
彼の"理念"の根底にあったのは、欲望や自己顕示欲などの利己的な感情ではなく、
家族への愛情であり、それを奪われた絶望と苦しみであったと。


戦争とは、独裁とは、
憎しみ、悪から生まれるのではなく、"愛情"から生まれるのだと思います。*1

宙ファンの記憶にも新しい「王家に捧ぐ歌」では、
アイーダは「敵を許すべし」と歌い、ラダメスもそれに賛同します。
…でも、もし、
「王家~」のエチオピア人たちの歌の歌詞にあるように、
愛する人を目の前で残虐に殺されて、それでもその相手を許すことが本当にできるでしょうか。

もちろん、理想論ではそうなのだけど…
それは綺麗事に過ぎないのでは…

誰だって争うよりは平和に暮らしたい。
…でも、有史以来、この地球上から"戦争"がなくなったことはない。…それもまた事実。

そんな現実を深く深く突き付けて、この作品は幕となります。


* * * * *


水星では、"違いのない平等な世界"の理念のもとに、言語は統一され、名前もなく"番号"でのみ管理され、
地球上に存在していた宗教や、音楽などの文化は一切禁じられています。*2

でも、登場人物たちは「番号じゃ呼びにくいから」とお互いに呼び名を決めて呼んでいて*3
法の「抜け道」を探して生きている、というエピソードも随所に描かれている演出
そのあたり、
架空の環境で生きている登場人物たちにどこか「人間らしさ」を感じさせ、「親近感」を抱かせるウエクミ先生の演出が好きだったりします。
(必要な栄養素は"へそのお"から供給されるため食事を摂る必要はないにもかかわらず、コーヒーを習慣にしているオバク…もその表現のひとつでしょう)


そしてSAPAに集う人たちは、しばしば自分たちの民族の歌を好んで口ずさみます。*4

この作品は「宝塚らしくない」とよく形容されますが、
独裁に反発する者たちが、想いを一つにし、原動力を得ていくきっかけ・源が「音楽(歌・踊り)」…というのは、
実はすごく宝塚らしい演出なんですよね。


歌が少なく、ほぼストレートプレイに近いこの作品。
それを敢えて「宝塚でやる意味」と考えたとき、
もうひとつ頭に浮かんだのは、"登場人物たちのビジュアル"という要素。
作中のほとんどの場面は、白~灰色がベースの衣装・装置というモノトーンベースの視界で展開されます。
そこに、
「女性が演じる男性の役」という要素があることで、
さらに「非現実的さ」を増す効果があったのではと。*5

そしてラストでは、
総統の死とともに"違いのない平等な世界"は一応否定され、
"違い"=自分らしさを取り戻した登場人物たちが、新天地を求めて旅立つ場面で幕となります。
ここで、登場人物たちの衣装がいっせいに「色味」を取り戻していて、
シンプルな、決して派手ではないデザインなのに、モノトーンに慣れた目にはものすごくきらびやかに映って。
…ちょっと、「初めて宝塚を観たときの衝撃」を追体験したような気になりました。

宝塚らしくないらしくないと言われてる作品だけど、
ウエクミ先生、絶対「宝塚らしさ」をものすごく愛しているんだと、個人的には思ってますよ~。
敢えてそれらを「一旦失くす」ことで際立たせているんだと。


…そして、
そんな"統制された中でも、人間らしさを求めてしまう"役たちに対して、
"人間らしさ"を感じない役柄が、スポークスパーソン(紫藤)とペレルマン(瑠風)ですね。

しどりゅー…ああいうAIスピーカー欲しい(?)。

組替えしてきたばかりの、良い意味でも「まだ組に馴染んでない」しどりゅーにあの役を当て、
そしてラストにちゃんと「戸惑いながら皆に馴染んでいく」演出、ウエクミ先生さすがです。


スポークスパーソンもペレルマンも、「人間らしさ」を感じない役として存在することで、
"総統"の「非人間的」な雰囲気を演出していたんだと思いますが、
スポークスパーソンが最後には「あ、人間だったんだ」ってなるのと対照的に、
ペレルマンは…ペレルマンは本当に何を考えてたんでしょうね。
ミレナのことを人として愛していたのか…それとも総統の命令が絶対だっただけなのか。
…そもそも、総統の方は少なくとも前述のように「人間の感情」はあった人だと思うんですが、
ペレルマンを娘の婚約者に指名したのは、人としての価値を認めてなのか、それとも単に扱いやすい駒としてなのか…
円盤出たらそこを深読みしながら観たい…。


* * * * *


深読みといえば。

ラストは、わたしの解釈では、
ミレナがミンナになることを拒絶し、(オバクがミンナの中に入っていくことでミレナを助け出し?)ミンナをシャットアウトし、生還。
総統を殺し、そして旅立ち…というハッピーエンドなのですが。

ついったで、
「ミレナはミンナと一体化したのだから、
総統を殺したのは『ミンナと一体化したミレナ』、すなわち『皆の意志』だ。
旅立ちのシーンも、ミレナと一体化したミンナの意識の中で起こっている幻想のようなものだ」という闇エンド解釈を見つけたときは震えました…

皆さんはどう思いますか…。




長くなったので、
最大の考察ネタである「素数」については別記事で書くとします(?)

次記事は壮麗帝~。

*1:偶然の一致なのでしょうが…スレイマン皇帝もまた、「人々が幸せに暮らせるためには、戦争で領土を平定することが必要」と発言します…

*2:逆説的に、音楽などの文化は民族意識と強く結びついて切っても切れない…という表現でもあります

*3:ロシア~東欧系の、日本人にとっては「絶妙な違和感」を感じる語感の人名が多く用いられているのも何らかの意図だと思います

*4:そこで用いられているのが、ユダヤ民族音楽、というのも深い演出だなぁと

*5:宝塚で近未来SF、って今までもなかったわけじゃないし、 結構好きな世界観です

全部ひっくるめて好き!な宝塚作品10選

こんなご時世なので、ちょっと好きなものについてひたすら語ってみようと思います。
先日友人からお題を投げられた「脚本・キャスト等全部ひっくるめて好きな宝塚作品10選」。

・・・まぁ10作に絞れてないんですけどね←

とりあえず、「生で観劇したもので」というしばりかけます。
言っとくけどながいよ!!!暇つぶしに。スカステ録画や円盤購入の参考に。ぜひ。

(以下、一部敬称略/愛称で失礼します)(特記していないものは大劇・東京宝塚公演です)



1:ファントム(2004宙組
これは何回再演しても初演が神キャスト…!
各キャスト、新たな発見もあるんだけどやっぱり初演が神。
和央ようか花總まり樹里咲穂安蘭けい…ってよく集まったなこの歌うまキャスト。*1
再演ではキャリエールの背景を説明するセリフが追加されて伝わりやすくなってるんですが、説明がなくてもねじ伏せる樹里さんの名演で。
大きい瞳がキラキラな、ピュアで少年のようなたかこさんエリック。
お花様と瞳子さんの見目麗しいかわいらしい同期カップル。
なんせもう歌が!歌うま!!!
宝塚でまじのショーストップが起こりかけたという伝説の公演。いやほんとすごかった観れて良かった…。

ちなみにオサさん版は彩音ちゃんクリスティーヌが歴代一番「母性」を感じるところ、
蘭とむさん版はなんといっても同期のエリキャリ銀橋が見ごたえあったなー。

だいもん版は…未見なんですが…あんな純粋無垢エリック、見たら好きしかないやん絶対…←



2:メランコリック・ジゴロ -あぶない相続人-(2007花組中日)
当時のご贔屓ゆうちゃんのプレお披露目。
その後再演も何度となくされてるし、もちろん初演のヤンミキさん版もあるんですが、
あれです「最初に見たものを親だと思う習性」ってやつで。まとえり彩音版のキャストが個人的に最強だと今でも思っています。

なんせ、
どっちかいうと線の細めな可愛い系・少年系の役が多かったみわっちがフォンダリ、
知的でスタイリッシュな役が多かったまっつがバロット、っていう配役の妙ですよ…これはちょっとそうそう上回れない…。

でも作品自体楽しいんで何回再演されても楽しめますけどね(^^)



3:舞姫 -MAIHIME-(2007花組バウ)
みわっちの主演バウ。評判良くて翌年異例の再演東上になりました。
評判良すぎてチケットなくて、ダメ元でさばき待ちしてたら開演2分前に奇跡的に譲ってもらえて駆け込んだ思い出。
みわっち、すみか、まっつ、みつる…ってうん芝居巧者しかいねぇなこれも。

ふわっと結末に触れてしまいますが、
みつる演じる原芳次郎が、ラスト近く、異国の病床で日本の食べ物を「食べてぇなぁ…」と涙を流しながら想起する場面。
初めて、客席にいながらにして「その役が見ている風景が、見える」という経験をしました。
日本の食べ物、それがある日本の風景が、ほんとうにありありと目に浮かんでくるようだった。



4:太王四神記 -チュシンの星のもとに-(2009花組
5:虞美人 -新たなる伝説-(2010花組
ゆうちゃんの大劇2作目と4作目の作品。
ゆうちゃんは…ぶっちゃけ、大劇作品に関しては「当たり」と「ハズレ」の差が激しかったトップ時代で…(苦笑)(外箱は当たりが多いと思う)
その中では「大当たり」な、ファン人気も高かった2作品。
どちらも古代の東アジア(高句麗/楚)が舞台の壮大な作品ですね。

どっちも大好きだけど、太王四神記は「キャスト全員が好き」、虞美人は「とにかく彩音ちゃんが好き」。
太王四神記は、ゆうちゃん演じるタムドクが、やや辛い境遇だけど純粋に育った王子、ゆーひさんは悪役として生きざるを得ず、後戻りできなくなって悪を貫くしかない悪役冥利に尽きるカッコよすぎる悪役。その二人が取り合うのが重い運命を背負わされた彩音ちゃんの役。
えりたんが黒幕のわっるい魔術師っていうのも新鮮で。

虞美人は、ゆうちゃんが項羽、えりたんが劉邦項羽はやや強引でこうと思ったら人の意見を聞かないカリスマ性のある支配者、
対して劉邦は自由奔放で楽天的にも見えるけど優れた知将の意見を取り入れて漢を統一した支配者。
まとえり、一見逆の持ち味っぽいけどこの配役ってのが木村先生、深いなー。
そして、ちょっと残虐性も持ってる項羽がプライベート面では虞と一途な愛を貫き、
大衆人気のある劉邦が、奥さんにはあんまり恵まれてない…ってのも面白い作品。

まとえりは、「恋愛関係じゃない」「許されざる恋」「絵にかいたようなキャッキャウフフなカップル」とひととおりやってるコンビなんですが、
彩音ちゃんの退団公演のこの虞美人では、満を持して(事実上の)一夫一妻関係の夫婦。
戦場にまで付き従い項羽を支え、時には鼓舞したり、聡明さを発揮したり…の彩音ちゃんが、本当に強く美しく、そして儚げで。
運命を覚悟したラスト近くの虞美人の剣舞、本当に美しい舞台姿でした。退団を決めたジェンヌさんというのは、こんなにも輝くのか…と、ただただ美しさに泣いた経験というのもこのときぐらいかも。



6:翼ある人びと -ブラームスクララ・シューマン-(2014宙組DC/青年館)
まぁくんの芝居に落ちた作品!
あとうらら様が…美。

ラスト近く、ロベルトに問われて「上には何が見える?」「…空が」と答えたヨハネスのおっきなおめめに、綺麗な綺麗な空が映っているのが確かに見えました。
「役が見ている景色が見える」と感じた体験は舞姫のみつる以来。

…あ~久しぶりに見たくなってきたな。



7:星逢一夜(2015雪組
翼~からの星逢のウエクミ先生はとにかく「紡ぐ言葉が美しい」って感じ。
晴興たちが幼き日の星逢の空を思い出して見上げる場面も、風景が本当に目の前に広がるように感じられて印象的でした。

今の季節に見返すならこっちか~。



8:Shakespeare -空に満つるは、尽きせぬ言の葉-(2016宙組
なんだろう…こう言っちゃうと元も子もないんですが、
ウィリアム・シェイクスピアという人物像、宮廷内の当時の人間関係、
時代の流れ、
演劇のなりたち、
そしてウィルとアンの運命的な恋から夫婦愛・家族愛、からのエリザベス女王という人物。
めちゃくちゃいろんなものを盛り込んだ末の、「生田くんの"引き算"の奇跡的な成功例」じゃないですかこの脚本www*2

まかうらの怪しい夫婦も良いし、コマさんも言わずもがなだし、
なんつっても、「まぁみり」で一番好きな配役はこれかもしれない~。
冬物語になぞらえたラストの夫婦愛のくだり、良いですよね…。



9:神々の土地(2017宙組
なんかもう世界観も好きだし、キャストのビジュアルも神だし、
そして、歴史、政治、
人の弱さ、醜さ、暖かさ、美しさ…等々いろんなことを考えさせられてしまう作品。
観るたびに、そのときの自分の心情や置かれている状況によって感じることもちがう。
何年、何十年経っても見返しているだろうなぁと思う、私の中でのここ数年での最高作品です。

「翼~」といいこの作品といい、
どちらかというと「陽」「夏」のイメージのあるまぁさまに、あえて「秋~冬」のイメージで作品を書くウエクミ先生のセンスが本当にわたしと満場一致(?)。
暗くて影のある役のまぁさまが好きやねん…(マイノリティなのは重々承知)
頑張ってラスプーチン倒すのに、結局ロシアを追われて流浪の人生を送るドミトリーを主人公に立てるとか普通思いつく?
ロマノフ王朝を主題にしといて、あえてのその人物よ???

そしてもう隠さずに正直に白状しますが、ずんちゃんに完落ちしたのはこの作品でした。
近衛士官→ゾバールの早変わり。
髪型やお衣装はもちろん、目の色、放つオーラまで一瞬のうちに別人として現れて、コサックダンスで場を支配したあの瞬間です。
同じ顔の近衛士官くんとゾバールくんと、腹違いor双子の生き別れの兄弟だというサイドストーリーでいつかひと記事書きたい←
ラストシーンで、メインキャストのうちゾバールくんだけ群舞にいない(ずんちゃんは影ソロ担当)のは、絶対にウエクミ先生の演出上の意図があるはずだと信じています←



10:追憶のバルセロナ(2019宙組
これ初演が大好きだったんですよ…。と言ってももちろん映像でしか見てないんですけど。
かつてまだヅカ初心者で、スカステ加入してまもなく、片っ端から舞台作品見て&録画してた頃に、たまたま見たのが2001年雪組のしかも新公。
えりキム他、当時(2005年頃)の知ってるジェンヌさんがいっぱい出てる~と思って見始めて、脚本も面白くて。
「ヘタレなんだけどものすごく実直にヒロインを愛する」男役像が、えりたんに似合って似合って(新公なんだけど)。
脚本が好きすぎてあとでちゃんと本公も観ましたが、本公のジェンヌさんはその頃にはもう退団してしまっててリアルタイムで知らないジェンヌさんが多いってのもあって、どうしても先に見ちゃった新公の印象がすごく強くて、
未だに会話してると新公と本公の配役がごっちゃになっちゃいますw

「悪い人が出てこない」正塚作品の真骨頂のような作品で、
(以下、宙組の配役で話しますねw)
まかキキがまいあちゃんを巡って三角関係、
まかずんがまどかを巡って三角関係(そんなんじゃねぇ、ってロベルトに言われそうですが)、って5人絡むなら誰かひとりぐらい「嫌な奴」がいてもよさそうなのに、いないところがすごい。
(悪い人はフランス側のりんきらさんとかもんちさんですね)
婚約者のまかさんを失った(と思ってる)まいあちゃんに救いの手を差し伸べるキキさまは、最初はまかさんへの義理とか恩でなんだろうけどちゃんとまいあちゃんを愛し抜くし、
罪悪感を感じつつ、まぁその時代ならそうせざるを得ないよね…なまいあちゃんが、キキさまのことでまかさんに頼らざるを得ない切ない苦しい状況に持っていく脚本が秀逸…!
まかさんも、まいあちゃんはあくまでも親の決めた許嫁なんだけど、ちゃんと愛しているから苦悩するし。
ここでずんちゃんがまどかちゃんに片思い、とかならまたチープだったと思うんですよ。あえて、恋愛感情ではない、大事な存在…って描くのがまた。深い。
そしてずんちゃんがちゃんとららちゃんとくっついて消えていく(でもちゃんとそこまでに経緯があるし、唐突ではない)のが宝塚らしくてハッピーで良いんですよね…聞いてる田渕くん?*3

いやほんと18年間再演されなかったのが謎なぐらい良い作品よ…?
まぁ、これもともとW二番手として作られてる作品で、
だから主人公の恋敵のアントニオが妙に出番少ないし、三番手格のロベルトが妙に見せ場あるんだよね…
この頃は主演→W二番手っていうバランスの公演が多かったけど、最近は主演→二番手→三番手クラスが複数…ってのが多いので、そこらへんのバランスの問題なんだろうなー。



…ということで、10作品。
「まぁさまとウエクミ先生強ぇな…!!!」って感じでしょうかw
もともと「贔屓」になるひとは「芝居で好きになる」からな~。

なお「生で観劇したもの」っていうしばりを外すと、
・長い春の果てに(2002月組)←蘭とむさん版も観たけどやっぱ初演がいい!でもまかまどでも観てみたい!
・THE LAST PARTY -S.Fitzgerald's last day-(2004月組/バウ)←2004年に月ゆひるい、宙たにみほで初演。2006年に月ゆひみほ、宙たにるいで再演東上。私が観れたのは東京のゆひかなだけど個人的神キャストは月ゆひるい版。
…が入ってきて絞りきれなかったりしますwww

あ、エリザベートは殿堂入りということで選外←

長々とお付き合いありがとうございました…!
余裕があったらショー10選も書く(かも)。

*1:90周年記念の二番手シャッフルの一環でした

*2:生田せんせーは引き算で失敗する…たいてい…

*3:相続人の肖像のベアトリスを幸せにしなかったことを一生根に持ってます

咲かなかった春

前回(3/11)に記事を書いてから、
あっという間に世の中の状況は変わってしまった。


2月末に最初に「大規模イベントの自粛」が言われたとき、
翌日が初日で、その日舞台稽古終わってさぁ明日っていうタイミングで、
「明日からの公演は中止になりました」
って伝えられて、役者さんみんな崩れ落ちて号泣した公演があると聞いた…。

そのときは、そんな残酷なことがあるものか、
気をつけて公演してればいいんじゃないのか、と怒りさえ沸いたりしたけど、
まさか1か月ほどの後に、ヅカのご贔屓もジャニーズの自担も同じ経験(舞台稽古までやって初日の幕開けられない)をしてしまうなんて。

1か月前と違ったのは、
「もしかしたら、ひょっとしたらそうなるかもしれない」と誰もが心のどこかで思ってはいた…のかな。

「幕を開けられないかもしれない」って思いながらお稽古するなんて、いったいどんな心境なのだろう…、
劇場入って舞台稽古までして、初日が開かずに戻ってくるって…。
想像を絶する経験が、わたしの大好きなひと(2人)の身に起こってしまった2020年の春。


個人的には、
「入念な感染対策*1をとって、
個人個人も十分意識*2した上での観劇」で、
『観客に』クラスターが発生するリスクは、極めて低いんじゃないかと今も思ってる。

…短期間でこんだけの対策を講じてくれて、本当にありがとうございます宝塚歌劇団…。何回でもお礼を言わせてください。
再開したら絶対にお金落としに行くから…。
たぶん、3月後半、公演を再開できてたところはこれに倣った部分も大きかったんじゃないかと…

ただ、3/19の専門家会議の提言で指摘されてしまった、
「大規模イベントによって、全国各地から人が集まり、また各地に戻っていくリスク」
これを言われちゃうとなぁ…
他の演劇は頑張って続けていたところもあったけど、
ジャニーズ・宝塚あたりは自粛も致し方ないのかなぁ(もちろん他のミュージカル・演劇で遠征される方もたくさんいらっしゃるのは重々承知ですが)…と思っていたところに、
とあるご高名な演出家兼俳優さんが感染してしまうという事態に(3/31)。

確かに、観客に対しては万全の対策をとっていても、
楽屋だとか稽古場とか、役者さんスタッフさん側の「三密」はどうなんだろうね…とお友達と話してたこともあった…。
4/1の専門家会議でも「大きい声で話したり歌ったり、あと運動して激しく呼吸することはリスク」と言われちゃった。
もちろん換気など十分気を遣ってはいるでしょうが…ずっとマスクするわけにもいかないでしょうし。

…しばらく演劇の再開は難しいでしょうね…。

(芸能界スポーツ界にも感染者が次々出てて…プロスポーツの再開も当分難しいだろうし、テレビ番組の制作も止まる位だしな…)


東日本大震災のときは本当に、これこそ「未曽有」だなと、
こんな未曽有の事態はもう何十年も起こったりしないだろう、なんて思っていたものですが。

戦争が始まるのってこんな感じなのかな。
最初のうちは対岸の火事で、
少しずつ重苦しい雰囲気が広がって…娯楽が制限され…社会経済活動が止まっていく。
(宝塚の公演が長期間ストップするの自体、戦時中以来ですからね…)

でもこれは決して戦争ではないから、
「誰かを憎む」「敵対する」ことだけはしたくないなぁと思っています(自戒)。
どんなに心が荒みそうになることが続こうとも。

わたしの大好きな大好きな宝塚のご贔屓は、
明るい笑顔をいつも絶やさない、楽しいことが大好きなポジティブなひと。
わたしがその舞台姿、芝居に惚れ込んだジャニーズの自担は、
決して人の悪口や落とすようなことは言わない、平和主義者な愛のひと。
この2人に次に笑顔で会うまでは。


いつかまた、大好きなひとに会いに行ける日がきますように。
目を見て、大好き、って伝えられますように。
一緒に楽しんで笑える、そんな当たり前の時間が戻りますように。
…それまでは負けない。めそめそしちゃうこともあるけどでも負けないんだから…!!それがどんだけ先になったとしても…!!

*1:サーモグラフィやら換気やら

*2:体調不良時の自粛や咳エチケット

「あの日」から9年

実は何年か前から、時間ができたらはてブロ作りたいなーなんて思ってまして。
どうしても舞台感想を長文で綴りたい習性がありましてねー…

ブログ作るとしたら、最初の記事は「あの日」のことを書くと決めていました。

2011年3月11日。…そしてそのあと、を経験したいちヅカオタとして。

当時もリアルタイムで、行き場のない想いをずっとmixiに←書き残していた記憶はあるのですが、
なんせ9年も経ちますし…mixiのログももうないし…今になってやっと書ける気持ちもあったりしますし、
「当たり前に観劇ができる幸せ」を、自分の中でも絶対に忘れないために。

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