あなたの笑顔を守るために

舞台を観るのが生き甲斐なヅカ&ジャニオタ

2020夏、観劇記録(SAPA編)

本日で壮麗帝千秋楽から2週間経ちました。
本当の意味で「無事に終わった」と言える日ですね。

わたしは諸事情により劇場での観劇は断念しましたが、
壮麗帝だけでなく、当初観劇予定のなかったSAPAもライブ配信というかたちで体験できたこと、
本当にすごく貴重な作品を観れたんだなぁと感じています。


まだSAPAの日生劇場公演を残してはいますが、
4か月遅れで上演が叶ったこの奇跡の舞台の感想を書き残しておきます。

ネタバレありまくりますのでご了承ください。

…そしてめちゃくちゃ長いです←


* * * * *


(以下、敬称略)
まず時系列順に、SAPAから。


———未来のいつか、水星(ポルンカ)。
過去を消された男。記憶を探す女。
(中略)
追撃者から逃れて、2112時間続く夜を星空の孤児たちは彷徨する。
禁じられた地球の歌を歌いながら———
(劇団公式HPのあらすじより)


ウエクミ先生があまりにあらすじについて話すのを勿体ぶるので、一体どんな凝った設定なのだろうと憶測が憶測を呼んでいましたが、
初期設定自体は、ラノベやアニメで割とよく見る"ディストピアもの"でしたね。
(勿論それがこの作品の価値を下げることは全くもってありませんが)

戦争で荒廃した地球を逃れた一部の人間が水星に移住、
そこは"総統"と呼ばれる人物が元首となっている。
"総統"の理念は「違いを一切排除した平和な世界」であり、
地球での宗教や、多くの文化は禁じられている。

また、水星での人間の居住(呼吸や体温維持)を可能にするデバイス(=へそのお)は、
同時に、各自の思考を政府中枢のコンピューターに自動的に送信する役割を持っており、
"暴力"や"自殺"といった"危険思想"が検知されると即座に察知され、
更生(更生が不可能な場合は記憶の全消去="漂白")の対象となる。
よって、
水星での居住は、実質"総統への忠誠"と引き換えである…という世界観。


主人公オバク(真風)が、記憶を消されている(=なんらかの危険思想をかつて持っていたと思われる)ことも、わりと序盤のうちに明かされます。
記憶を消されたオバクは、今は危険思想を取り締まる側の"兵士"として、任務を気怠げに、淡々とこなしています。

そんなオバクがある日"自殺"の徴候を察知して駆けつけた場所にいたのがミレナ(星風)。
(おそらく"自殺企図"自体が、誰か兵士を呼び寄せるミレナの罠だったと思われますが)
ミレナが、総統が自らの後継者に指名したばかりの彼の娘であるらしい、ということも容易に推測できる展開です。

ミレナはオバクを脅し、自分をSAPAの中心地=到達すれば望みが叶うと言われている場所に連れていくように命じます。

SAPA周辺は電波の干渉により全ての通信・電子機器が無効化される場所であるため、
総統に思想を提供することに抵抗するレジスタンスたちのたまり場となっていました。

ここらへんまで、世界観や設定が淡々と説明される場面が多いのが第一幕。
大きなインパクトのある場面が少ない分、
演者の魅力・演技力だけで約1時間魅せてくるのはさすがトップコンビ&二番手です。

一見、過去に"危険思想"を持っていたとは思えないぐらい、受け身で、流されるように生きているアンニュイなオバク。
この作品の中では比較的「陽キャラ」と言っていいでしょう、飄々と、割り切ったように生きている精神科医のノア(芹香)。
いきなりオバクを銃で脅し、言動もぶっきらぼうで、どこか追い詰められている風のミレナ。

そしてこの三人に全く引けを取らない存在感だったのが、
まだ研4(絶対嘘やん)の夢白。
演じる、ノアの恋人のイエレナは、隙あらば政府に反逆しようと考えているレジスタンス。銀色の短髪にパンツルックに大きな銃を手にして…とそのいでたちだけでもインパクト大。

ここに寿、綾瀬、松風、星月、春瀬、瀬戸花らのベテラン勢(留依もこのくくりに入れてしまおう)、
若翔、天瀬、優希、愛海、真名瀬ら新公等でも芝居はお墨付きの若手勢が、しっかりキャラ立ちした役を生きています。
(紫藤、瑠風については別途書きます)


* * * *  *


一幕ラストから二幕にかけて徐々に、"危険思想"を持つに至るオバクの過去(イエレナやミレナとの関係)が明かされていき、
さらには"総統"(汝鳥/若かりし頃は穂稀)が、なぜ「違いを一切排除した平等な世界」をそこまで強く望んだのかが明かされるのが最大のクライマックスです。

よくあるディストピアものだと、独裁者は権力を求めるサイコパスめいた、人間味のない冷酷非道な人物…であることが多いと思います。
そしてラストでは主人公に追い詰められ、「お前の考え方は間違っている」と追及され、
独裁者が改心するか、手に負えず主人公の手で抹殺されるかというのがスタンダード。

…それが根底から覆してくるのが、この作品の一番の"醍醐味"でしょう。

一幕ラストでようやく姿を現す"総統"が、一見冷淡な人間離れした印象を与える演出も上手いなぁと思います。

それが、ラスト近くオバクとの対決時、
明かされていく総統の過去は、「戦争で目の前で妻や娘たちを殺された」という壮絶なもの。
きっと彼は、愛情深い優しい夫であり父親であったのだろう…という事実をこれでもかと突き付けられる。

「民族や言語・国籍といった違いがあるからこそ、殺し合いが起きる」
彼の"理念"の根底にあったのは、欲望や自己顕示欲などの利己的な感情ではなく、
家族への愛情であり、それを奪われた絶望と苦しみであったと。


戦争とは、独裁とは、
憎しみ、悪から生まれるのではなく、"愛情"から生まれるのだと思います。*1

宙ファンの記憶にも新しい「王家に捧ぐ歌」では、
アイーダは「敵を許すべし」と歌い、ラダメスもそれに賛同します。
…でも、もし、
「王家~」のエチオピア人たちの歌の歌詞にあるように、
愛する人を目の前で残虐に殺されて、それでもその相手を許すことが本当にできるでしょうか。

もちろん、理想論ではそうなのだけど…
それは綺麗事に過ぎないのでは…

誰だって争うよりは平和に暮らしたい。
…でも、有史以来、この地球上から"戦争"がなくなったことはない。…それもまた事実。

そんな現実を深く深く突き付けて、この作品は幕となります。


* * * * *


水星では、"違いのない平等な世界"の理念のもとに、言語は統一され、名前もなく"番号"でのみ管理され、
地球上に存在していた宗教や、音楽などの文化は一切禁じられています。*2

でも、登場人物たちは「番号じゃ呼びにくいから」とお互いに呼び名を決めて呼んでいて*3
法の「抜け道」を探して生きている、というエピソードも随所に描かれている演出
そのあたり、
架空の環境で生きている登場人物たちにどこか「人間らしさ」を感じさせ、「親近感」を抱かせるウエクミ先生の演出が好きだったりします。
(必要な栄養素は"へそのお"から供給されるため食事を摂る必要はないにもかかわらず、コーヒーを習慣にしているオバク…もその表現のひとつでしょう)


そしてSAPAに集う人たちは、しばしば自分たちの民族の歌を好んで口ずさみます。*4

この作品は「宝塚らしくない」とよく形容されますが、
独裁に反発する者たちが、想いを一つにし、原動力を得ていくきっかけ・源が「音楽(歌・踊り)」…というのは、
実はすごく宝塚らしい演出なんですよね。


歌が少なく、ほぼストレートプレイに近いこの作品。
それを敢えて「宝塚でやる意味」と考えたとき、
もうひとつ頭に浮かんだのは、"登場人物たちのビジュアル"という要素。
作中のほとんどの場面は、白~灰色がベースの衣装・装置というモノトーンベースの視界で展開されます。
そこに、
「女性が演じる男性の役」という要素があることで、
さらに「非現実的さ」を増す効果があったのではと。*5

そしてラストでは、
総統の死とともに"違いのない平等な世界"は一応否定され、
"違い"=自分らしさを取り戻した登場人物たちが、新天地を求めて旅立つ場面で幕となります。
ここで、登場人物たちの衣装がいっせいに「色味」を取り戻していて、
シンプルな、決して派手ではないデザインなのに、モノトーンに慣れた目にはものすごくきらびやかに映って。
…ちょっと、「初めて宝塚を観たときの衝撃」を追体験したような気になりました。

宝塚らしくないらしくないと言われてる作品だけど、
ウエクミ先生、絶対「宝塚らしさ」をものすごく愛しているんだと、個人的には思ってますよ~。
敢えてそれらを「一旦失くす」ことで際立たせているんだと。


…そして、
そんな"統制された中でも、人間らしさを求めてしまう"役たちに対して、
"人間らしさ"を感じない役柄が、スポークスパーソン(紫藤)とペレルマン(瑠風)ですね。

しどりゅー…ああいうAIスピーカー欲しい(?)。

組替えしてきたばかりの、良い意味でも「まだ組に馴染んでない」しどりゅーにあの役を当て、
そしてラストにちゃんと「戸惑いながら皆に馴染んでいく」演出、ウエクミ先生さすがです。


スポークスパーソンもペレルマンも、「人間らしさ」を感じない役として存在することで、
"総統"の「非人間的」な雰囲気を演出していたんだと思いますが、
スポークスパーソンが最後には「あ、人間だったんだ」ってなるのと対照的に、
ペレルマンは…ペレルマンは本当に何を考えてたんでしょうね。
ミレナのことを人として愛していたのか…それとも総統の命令が絶対だっただけなのか。
…そもそも、総統の方は少なくとも前述のように「人間の感情」はあった人だと思うんですが、
ペレルマンを娘の婚約者に指名したのは、人としての価値を認めてなのか、それとも単に扱いやすい駒としてなのか…
円盤出たらそこを深読みしながら観たい…。


* * * * *


深読みといえば。

ラストは、わたしの解釈では、
ミレナがミンナになることを拒絶し、(オバクがミンナの中に入っていくことでミレナを助け出し?)ミンナをシャットアウトし、生還。
総統を殺し、そして旅立ち…というハッピーエンドなのですが。

ついったで、
「ミレナはミンナと一体化したのだから、
総統を殺したのは『ミンナと一体化したミレナ』、すなわち『皆の意志』だ。
旅立ちのシーンも、ミレナと一体化したミンナの意識の中で起こっている幻想のようなものだ」という闇エンド解釈を見つけたときは震えました…

皆さんはどう思いますか…。




長くなったので、
最大の考察ネタである「素数」については別記事で書くとします(?)

次記事は壮麗帝~。

*1:偶然の一致なのでしょうが…スレイマン皇帝もまた、「人々が幸せに暮らせるためには、戦争で領土を平定することが必要」と発言します…

*2:逆説的に、音楽などの文化は民族意識と強く結びついて切っても切れない…という表現でもあります

*3:ロシア~東欧系の、日本人にとっては「絶妙な違和感」を感じる語感の人名が多く用いられているのも何らかの意図だと思います

*4:そこで用いられているのが、ユダヤ民族音楽、というのも深い演出だなぁと

*5:宝塚で近未来SF、って今までもなかったわけじゃないし、 結構好きな世界観です